炎のあるくらし 「薪ストーブとの出会い」 | |||
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聞き手 店内には、とっても素敵なデザインの商品がありますね。 どういったきっかけで暖炉、薪ストーブに出会われたんでしょうか。
私が若い時に父親の仕事の後を継いでまして、主に林業関係の機械の販売をしていたんです。第二次オイルショックの後に、石油が高くなった時、日本には豊かな森林、木材があるということで、商社がデンマークから薪ストーブを輸入したんですね。
聞き手 |
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聞き手 その当時、薪ストーブというのはどういう存在だったんでしょうか。
今と同じように、ホームセンターや金物屋さんで、3,000円くらいのものは売っていました。岩手では、一般的に農家の台所で使っていたりするくらいで、一時途絶えた状況だったと思います。
聞き手
そうですね、当時としても、お値段として高かったですし、ある意味、岩手に住んでいて薪を使う生活というのは貧しい生活の象徴というイメージもありましたので、今さら薪ストーブって皆さん思われたかもしれません。実際使ってみて、焚いてあたってみると、とっても気持ちいいんですね、心地いいんですね。
聞き手
実際そうなんですが、当時、営林署の現場、先山(さきやま)って呼ばれる伐採の現場では、作業員の方たちが小屋などで薪を割ったものを焚いていたんです。ただ、なかなか一般的に薪ストーブは使われていなくて、イメージも、まだまだ一般的ではなかったです。
聞き手
この仕事をはじめた先代の父親が、昭和63年に亡くなって、私の代になった際、この先どうしようかと考えたました。林業の仕事は岩手にとって大事な仕事ですが、営林署も統廃合をしていましたし、森林組合の仕事も減っていって、仕事がよくなる要素はなかったです。その中で薪ストーブの仕事は、当時一部門の仕事でしたが、非常に楽しかったです。同じ苦労するなら、楽しいことをやろう、自分が好きなことをやろうということで、この仕事に取り組んだというかたちです。
聞き手 |
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聞き手 なるほど、わかりました。 そして、平成元年に岩手暖炉をスタートさせるわけですが、そこから時代の流れも変わってきているようです。さまざまなお話、伺っていきたいと思います。 |
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